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Posted date:2015.06.16

【インタビュー】『コップのフチ子』仕掛人、古屋大貴さんに聞くグッドアイディアの出し方

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『コップのフチ子』というガチャガチャのおもちゃをご存知でしょうか。現在、800万個を超えるメガヒット商品になっています。コップの“ふち”で遊ぶという斬新なアイディアはどうやって生まれたのでしょうか。生みの親・古屋大貴さんに、アイディアの出し方を聞きました。(取材・文=呉承鎬)

古屋大貴さん


●プロフィール
1975年、埼玉県生まれ。カプセルトイメーカー、奇譚クラブ主宰。株式会社ユージンでカプセルトイ制作を学び、2006年に奇譚クラブを立ち上げる。『コップのフチ子』『江頭2:50ストラップ』などヒット商品多数。著書に『コップのフチ子のつくり方』(PARCO出版)

『コップのフチ子』は、コミュニケーションツール

フチ子

―本日はよろしくお願いします。まず、『コップのフチ子』の生まれた経緯についてお聞きしたいと思います。マンガ家のタナカカツキさんが大きく関わっていると聞きましたが。

 タナカカツキさんとの出会いがなければ、『コップのフチ子』は生まれませんでした。僕はもともとカツキさんの作品が好きで、「いずれ何か一緒にできたらな」とずっと思っていたんです。ただ、なかなか好きな人には声をかけづらいもの(笑)。そんな中、わりと近い距離、友達の友達ぐらいにまでなったので、紹介してもらいました。

 カツキさんは最初にメールしたときから、「むしろなんで僕の商品が出てないの?」くらいの勢いでしたね。会ったときは、もう趣味の話ばかり(笑)。水草水槽とかね。2回目の打ち合わせは、たしかアクアリウムショップで行ったんですけど、ずっと水草と魚について話していました。でも、カツキさんは、そこでアイディア・スケッチを10枚くらい持ってきてくれたんです。

 

―そのタナカカツキさんのアイディア・スケッチのなかに、フチ子もあったというわけですね。古屋さんはなぜ、フチ子を選んだのでしょうか。

 フチ子が“ちょうど良かった”んです。一番いいというわけではなく、ちょうど良かった。正直に言えば、いただいたスケッチの中で順位をつけると、フチ子は3番手ぐらいでした。1番手、2番手のアイディアは、ガチャガチャとして王道のマグネットやストラップの案でした。フチ子を選んだ理由としては、コップの“ふち”という新しい切り口があったことはもちろんですが、ユニセックスに受けるものだったし、初球として一番無難だと思って、やろうと決めたんです。

 その結論は、みんなで決めました。うちは、なんでもみんながいるところで決めています。たとえ僕の企画でも、みんなの反応が悪ければボツ(笑)。合議制で決まるんです。そうして発売してみたら、800万個くらい売れちゃって。

 

―800万個! ガチャガチャ業界は、20万個でヒット、50万個で大ヒットと聞いています。何がそこまで人を惹きつけたのでしょうか?

 『コップのフチ子』は、ストラップもついていないし、マグネットもついていない。今までになかった分野に入っていったんだと思います。コップのふちも、今まで誰もいじっていなかった部分でした。いわば、マイノリティだったんですね。

 ガラケーにはストラップ用の穴がありました。『ご当地キティ』のガチャガチャが流行ったのも、携帯の普及と時期が重なっている。でも、今のスマホにはついていない。で、みんなスマホで何やっているかというと、写真を撮って、メールやSNSをしている。それに乗っかったのが、フチ子です。

 フチ子がここまでヒットしたのは、何よりもコミュニケーションツールになっているというところでしょうね。ネット上だけじゃなくて、居酒屋や喫茶店でも会話のネタになるじゃないですか。今はコミュニケーションが希薄な世の中だから、フチ子があるだけで、ネットでもライブでも会話が少し弾む。そういうところがウケたのかもしれない。

 そのコンセプトは、カツキさんの構想の中にあったんです。OLがランチの写真を撮って、「おいしかった」などとFacebookにアップしていますよね。「あれ、なんなの?」と。あそこにフチ子がいれば、ちょっと面白くなる。写真がつまらないから、楽しくしよう。それがコンセプトでした。

 

大手メーカーにパクられているが……「痛快ですよ」

まどか

―『コップのフチ子』がヒットしたことで、類似商品がたくさん出ていますよね。

 フチ子と同じコンセプトで、大人気アニメのキャラや、特撮モノのなんとかマンなどの商品があるんですけど、多分普通の人は、あれを僕らの会社が作っていると思っているんじゃないかな。あれは、別の大手おもちゃメーカーですからね(笑)。ただ、『コップのフチのまどか☆マギカ』は、僕たちですよ。

 やっぱり大手に先んじるのは、痛快です。『まどか☆マギカ』も逆指名されましたからね。大手が毎月3アイテムぐらい、僕らの真似をしている。むしろ、むこうは屈辱的じゃないのかなと思っています(笑)。

 彼らは屈辱には感じないんでしょうね。サラリーマンだから。数字を上げることが第一だから。でも、そういう思いはユーザーに見透かされると思うんですよ。

 

―奇譚クラブさんは『コップのフチ子』以外にも、ヒット商品が数多くありますよね。例えば『江頭2:50ストラップ』とか。

 そういえば、『江頭2:50ストラップ』が250万個くらい売れたときも、いくつかの大手メーカーさんが追っかけてやっていましたね。いろんな芸人さんで。全然、真似していいと思います(笑)。ただ、どうせなら「もっと良いクオリティのものを作ってくれ」という感じ。“やらされて作っている”という感じがモノを見たときに伝わってくるからです。

 モノを手に取ったときに、“やらされた感”のある商品は駄目だと思う。それはユーザーに伝わります。でもモノが良ければ、「こんなの出たんだよ!」って、友達に“伝える”ところまでいきますから。クチコミにつながっていく。飯も旨かったら「あそこのトンカツ屋は旨い」って、友人に言うじゃないですか。「絶対食えよ!」とまで(笑)。“絶対”まで言わせるのが大事かなと。最高の宣伝ですよね。

 何かモノを作る上でそこまで意識できるかというのは、非常に大事なことだと日頃から思っています。僕らが作ったモノをユーザーが見たときに、「愛があって作っている」とわかってもらえるようにするというか。

 

企画だけでなく、クオリティも“常識外れ”

kaiyou

 ―『コップのフチ子』をはじめ、『スマホのおふとん』『くいとめるニャー』など、奇抜な企画が目につきます。それに比べると、『江頭2:50ストラップ』はそれほど企画が“常識外れ”でもないような…。

 実際、誰もそんなに売れるなんて思ってなかった(笑)。でも、僕なりの分析もあって、当時のエガちゃんはゴールデン番組をはじめ、SMAPの番組や深夜番組にも出ていた。つまり、国民全員が知っている存在だったんです。でも、グッズは忌み嫌われていて、出ていない。僕の感覚としては、「出せば売れるだろうな」というのがあった。僕も大好きだったし。だから、好きで作りました。

 これだけゴールデンに出ていて、おもしろいのに、なんでグッズがないのかなと。単純な発想ですよね。いわば、「これだったら売れるかもしれない…でもやっぱり無いか」と思われている商品ですね。完全に自分の中では計算ができました。こういうのはセンスなのかなあ(笑)。みんな、そういうところに目がいかないだけだと思うんですけど。そういう意味では、“常識外れ”な企画だったと言えるのかもしれません。

 うちが最初に手がけた『海洋』シリーズも、過去にも同じようなガチャガチャはありました。でも、うちのは超絶クオリティなので。チョコエッグで有名な海洋堂さんよりも、彩色の工程数でははるかに上です。その意味で、変わっている。利益度外視というか(笑)。企画が変わっているのではなくて、クオリティが“常識外れ”なんですよ。

 

―(海洋シリーズを手にとって)たしかに、ガチャガチャの商品には見えません!

 実際、2、3年前に、VTRを撮って、来日中の外国人に『海洋Ⅰ』を見せて、「いくらだと思う?」と聞いたことがあるんです。みんな「2000円」とか「3000円」って平気で言っていました。「300円だ」と言うと、「クレイジーだ!その会社は大丈夫なのか」と(笑)。

 ただ『海洋』シリーズは原価が年々上がっているので、今は作れば作るほど赤字になっちゃう。消費税も上がりましたし、今は当時の値段では作れないですね。1個500円にしないと、採算的に無理です。でも、市販されている1000円の物よりも完成度は高いと思います。それぐらい、自信を持っています。

 ちなみに、僕らのガチャガチャはすべて大人向けに作っています。単純に、少子化で子供が少ないから。それよりも、大人に売ったほうが合理的ですよね。あと、大人のほうがお金を持っていますから。

 

公務員志望、建材メーカーの営業……古屋さんの原点

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―古屋さんは、もともとガチャガチャを作ろうという思いを持っていたのでしょうか?

 こう見えて、もともとは公務員志望だったんです。でも、就職氷河期で、市役所の募集がなかった。さらに、市役所で働いていた先輩に「お前、公務員に向かないんじゃない?」と言われましてね(笑)。その言葉が自分の中に、すっと入ってきたこともあり、一般に切り替えて建材メーカーに入りました。

 給料と土日休みという条件だけで、入社を決めたんです。当時は土日に少年サッカーの指導をやっていたので。実際に入社して営業部に配属されてみると、朝は早いし、一日中、車を運転する毎日で、かなりハードでした。

 当時の営業スタイルは、自分なりに工夫していましたよ。建材屋なので、大体、金物屋に行くわけですよ。昔かたぎの親父さんが出てきて、「お前、何しに来たんだ」などと言われて。それで話が終っちゃうんですよね。それだと意味がないから、倉庫の掃除をして帰るようにしていました。在庫も見ることができましたしね。会社の上司から「掃除をしろ」と言われたわけではないですが、「何かやって帰らないと」と考えていたら、チリトリとほうきが目の前にあったので掃除をして帰りました。

 そういう部分は、少年サッカーの指導が生きているかもしれませんね。子供たちに「グラウンドは使う前より綺麗にしよう」とか、言っていましたから。金物屋で掃除をしているとね、お店の奥さんが「飯でも食べていきなさい」と言ってくれるんですよ。そうやって人とつながることで、商品を買ってもらえたこともありました。

 いつも「数字を上げなければいけない」という意識は持っていました。やっても意味がない、効率が悪いと思ったら、すぐにやめて「違う道があるのでは?」と探していましたね。先輩たちがやっていることでも、違うと思えば変えていました。仕事のスタイルはずっとそうですね。

 ただ、半年くらい経つと、ノルマは達成していましたが「これ以上やる必要ないだろ」という感じで、さぼるようになりました。結局、営業がきつくて1年で辞めてしまいました。

 

ガチャガチャとの出会い、そして独立へ

 

―公務員志望から建材メーカーに入社…。まだガチャガチャとは、出会ってもいませんね(笑)。

 ガチャガチャとの直接的な出会いは、建材メーカーを辞めて、株式会社ユージン(現・タカラトミーアーツ)に入ってからですね。ユージンは建材メーカーと違って、空気が緩かったので、本来の自分が出せました(笑)。遅刻しまくって、すごく怒られていましたね。ルールも度外視。バイク通勤も禁止でしたが、バイクで通っていました。

 最初は営業でした。数字もそれほど悪くなかったと思います。でも、オモチャが大好きだったので、企画をやりたかった。で、当時の企画の部長さんに「企画がやりたい」と話したら、「ちょっとやってみれば」とおっしゃってくれました。その部長とは、すごく趣味が合ったんです。それでやらせてもらえるようになりました。それがヒットして、営業と企画の両方を担当することになったんです。ドラクエで言うと魔法戦士みたいに(笑)。

 そういう待遇は前例がなかったそうです。その部長とは、今でも飲み友達ですよ。結局、ユージンには10年いました。

 

―ガチャガチャ作りは、ユージン社で学んだということですね。大手おもちゃメーカーと言えると思いますが、なぜ独立を?

 独立のマインドは、社会人になってからもずっと持っていました。社会人になったばかりの頃にやりたかったのは、カフェ。フットサルグラウンドがわきに併設しているカフェをやりたいなと思っていました。好きなことを体現したかった。今やっていることと、全然違いますね(笑)。

 ユージンは僕が入った当初、30人ぐらいの会社でした。でも、10年間でどんどん大きくなって、上場して100人規模になった。すると、なんと言えばいいか、会社の中が“窮屈”になったんです。人も多いし、ルールも多くて。企画一つ通すにも、書類がたくさん必要になって、会議もたくさんあって…。そうなると、「合理的じゃない、効率が悪い」と感じるようになるわけですよ。

 どのくらい窮屈だったかというと、企画会議に必要な書類作りのために、残業したりするんですよ。絶対、効率が悪い。今までは、口頭と簡単なスケッチで、みんながいいなと思ったら、「やってみよう!」となったのに。書類をきっちり用意して、稟議があって、会議があって。会議も企画や営業と、いくつかあって。

 当時はある程度年齢も重ねてきて、「人生には限りがある」とわかりはじめてきた頃です。「時間がないから、こんなとろいところでやっていられない」という思いも出てきていましたね。

 

大切な人との出会いと別れ

 

―組織が大きくなるにつて、閉塞感が出てきたということですね。

 そんな中、あすなろ舎の石川一郎さんと出会います。業界では総長と呼ばれています。総長とは『ご当地キティ』のガチャガチャをやるときに会うことになりました。

 そもそも『ご当地キティ』は当初、あすなろ舎とバンダイでやる予定だったんです。総長と初めて会ったときに、僕が総長に「それ、僕とやってください。自信があります」と言ったんです。すると総長は、「お前、おもしろいから、明日バンダイを断ってやる」と言ってくれました。次の日、本当に総長から「バンダイは断ったから、お前しっかりやれよ」と電話がきたんです。それなのに、当時のユージンの代表たちはコンプライアンスがどうとかで、やらないと判断。上場を控えて、ナーバスになっていたのでしょう。この出来事も、僕が独立を考える大きなきっかけだった。

 そのあと、実際にユージンは上場しました。上場記念パーティーがあったんですが、その1週間前に、当時のユージンの社長が亡くなってしまいました。上場に関して、いろいろな気苦労があったのだと思います。僕は、その社長が大好きでした。勝手でわがままな自分を引き上げてくれたのも、その人だったんです。そんな感じで、いろんな引き金があったわけです。もう辞めるタイミングだなと感じました。

 もちろん、辞めるという選択ではなくて、ユージンを変えようという気持ちもありましたよ。いろいろともがきました。でも、駄目でした。大きな会社になったから、僕が変えようとしても微力すぎて、そこから何か変わるとは思えなかった。

 そんなある日、総長と飲んでいて、流れで独立の話になったんです。すると、総長が「会社を作ってやるから、明日辞めちゃえ」と。そして一週間後ぐらいに、「会社作ったから、いつでも来い」と連絡がきた。しかも、「好き勝手やれ」と(笑)。

 

―すごい話ですね。迷いはなかったのですか?

 ユージンは上場していて僕は中堅にいたから、普通に残っていれば、それなりに良い生活ができたでしょうね。その頃は家も買ったばかりだったし、カミさんも妊娠していました。たしか、ちょうど臨月に独立しました(笑)。カミさんに独立を話したときは、最初はビックリしていましたね。僕と正反対のマジメな性格なので。でも最終的には「あなたが決めたことについていく」というから、「ありがとう」と。

 こうやって振り返ってみると、すごくごちゃごちゃした道を歩んできた人に感じるかもしれませんが、自分としては、わりと真っ直ぐ道は見えていました。周りの人に生かされていたし、ラッキーだったとは思いますけど。

 僕が独立しようとしたときに、ちょうどユージンを離れていたメンバー(佐藤純也さん、現在は株式会社いきもん代表取締役)がいました。彼は、ユージンで累計1000万個くらい売れた『原色図鑑』をやっていた。僕と同じように感じていたみたいですよ。企業にあまり向かないというか。それで一緒にやろうと。もう一人、ユージンに勤務している人(石川早苗さん)で、信頼できる人がいたので、「興味があれば」と声をかけてみたら、すぐ「辞める」と。「古屋くん、楽しそうだから」というノリで(笑)。

 こうして奇譚クラブができたのですが、最初はあすなろ舎の下請けを2年間ぐらいやっていました。『ご当地キティ』とか。お金を少しずつ貯めて、初めて作ったのが『海洋Ⅰ』。ガチャガチャ業界自体はユージンのときからずっとやっていたので、問屋さんもみんな僕を知っていたし、佐藤のことも『原色図鑑』で知られていました。わりと営業に行っても、認知はしてもらえましたよ。今でこそ佐藤は作る一辺倒ですけど、当時は一緒に全国の問屋さんを営業で回っていましたね。

 『海洋Ⅰ』は10万個くらい作らないと、採算が合わない計算でした。でも、最初の注文は6万個くらいしかとれなかった。最初からリスクを背負いましたよ。発売したらすぐに売れて、余った4万個も1カ月も経たずに売れました。そんなこんなで現在に至るという感じです。

 

大きな企業や会社では、できないこと

コップのフチ子のつくり方

『コップのフチ子のつくり方』の詳細はこちら >>>> 

 

―奇譚クラブさんは『海洋』シリーズにはじまり、その後も奇抜なアイディアと高いクオリティで、ガチャガチャ業界に旋風を巻き起こしています。何か秘訣があるのでしょうか。

 とにかく「やってみる」ことですね。大きな企業にいたら、なかなかやれない。でも結局のところ、やらなきゃわからないじゃないですか。

 といっても、可能性がまったくないことはやりませんよ。全部ハッキリすること、濁さないことが大事だと思うんです。例えば、企業同士の打ち合わせで相手が大企業だと、まったく駄目な提案を受けたときでも「一度持ち帰らせていただきます」とか、言うじゃないですか。でも、一目で駄目な提案を持ち帰る必要なんて、まったくないですよね。時間の無駄というか。世の中、そんなのばっかりだと思うんですね。だから、一つひとつの仕事に白黒をはっきりすることが理想だと思います。

 そのためには、いい判断ができる自分がいなきゃならない。だから、日々の研鑽、つまり遊んでいなきゃ駄目なんですよ。凝り固まったら駄目。

 コツは〝反対側〟にいること。みんなが「『あまちゃん』観ている」と言っていたら、『あまちゃん』じゃないものを観る。僕はなんとなく、そういう意識がある。まあ、そもそもテレビをあまり観ないですけど(笑)。そのかわり、人と会っていますね。

 

―たしかに人に会うことで、新しい発想が生まれたり、モチベーションが高まったりすることは多いです。他にも、古屋さんが普段意識していることを教えてください。

 反対意見が多いほど燃えるという性格も関係しているかもしれない。大勢に対しての“嫌悪感”もあります。みんな流されていると思うんですよね。そうではなくて、僕は自分で考えたいんです。自分で本当に考え抜いたものじゃないと、本物は作れないんじゃないかな。

 あとは、常に変化を意識すること。奇譚クラブでも、たまに社員に「会社を解散したい」とか「辞めるのはみんなの自由」とか言ったりすることがあります。常に凝り固まっちゃいけない、変化しなきゃいけないと考えています。それは、世の中が常に変化しているから。変わるのが“当たり前”なんですよね。でも大企業はなかなか変えられない。僕らは小さい会社だから変えられる。

 

ビジョンは口に出してこそ、実現に近づく

古屋さん

―『コップのフチ子』をはじめ、これだけヒット商品を出していると会社の規模も自然と大きくなっていくんじゃないですか?

 クオリティにこだわりすぎているので、利益率が低いところがあります(笑)。奇譚クラブは毎年8月決算なんですが、2014年の売り上げは18億円くらいになりました。でも、利益が全然出ない。でも、つぶれなければいいかなと。別に贅沢したいわけでもないし。

 会社の規模も、広げるつもりはまったくないです。2013年に売り上げが14億円になっちゃったから、「10億円まで減らそうよ」と言ったんですよ。結果的に増えちゃいましたけど、会社の規模はなるべくコンパクトにしたい。規模は小さくして、利益率を上げる方向がいいんです。大企業になっても、何もおもしろくない。名声やお金を得たい人もいるかもしれませんが、僕はあまり興味がないので。

 僕らは富を得ないかわりに、自由を得る。大企業の人は、自由を失って富を得る。どちらが良い悪いではなくて、選択の違いだと思いますよ。

 

―今後、実現したいこと、やりたいことはなんでしょうか?

 僕が一番したいのは、紛争や政治的な問題で生きられない子供、勉強できない子供、そういう子供たちへの支援ですね。仕事とは何も関係ないんですけど。そのために、奇譚クラブの他にも会社を2つやっているんです。それをなるべく早くやりたいんです。早くスタートして、失敗するほうがいいので。

 ただ、支援しているだけではお金がなくなるだけなので、ちゃんとビジネスのスキームとして作りたいですね。まだ、そこまでできる人間じゃないし、いろんな人との出会いが今後も必要だと思う。

 「こうしたい」というビジョンは心に秘めていても意味がないと思っています。積極的にビジョンを口に出していくことで、関係する人ともつながっていけるのではないでしょうか。

 

取材・文=呉承鎬

 

 

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